Dr. Dreと契約目前だったNe-Yo
2006年に[Def Jam]から発表されたデビュー・アルバム『In My Own Words』で、いきなり全米アルバム・チャートを制したNe-Yo。
元々、Ne-Yoは[Def Jam]と契約する前に[Columbia Records]とアーティスト契約を結んでおり、Marques Houstonが2003年に発表した"That Girl"は、当初Ne-Yoのデビュー・シングルとしてリリースされる予定だった楽曲。
Marques Houston
That Girl
iTunes: https://apple.co/4541fDc
そんな[Columbia Records]との契約よりも前に、Ne-Yoとコラボレーション契約を結ぼうとした大物アーティストがおり、それがあのDr. Dreだったとのこと。
しかし、最終的にはDr. Dreとコラボレーション契約を結ぶことが出来なかったNe-Yo。
Dr. DreがNe-Yoとの契約を見送った理由は、Ne-Yoに「ある要素」が足りなかったからとのこと。
「彼は俺よりも少しフッドだったんだ」
早くからNe-Yoの才能に気が付いていたDr. Dreは、Ne-Yoとコラボレーション契約を結ぼうと考えていたものの、この時Ne-Yoの他にもう1人別のアーティストともコラボレーション契約の交渉を進めており、Dr. Dreはどちらか1人と契約する意向だったとのこと。
しかし、当時のNe-Yoが披露したソングライティング能力でDr. Dreの心を揺さぶることが出来ず、Dr. DreはNe-Yoではなくもう1人の候補者を選ぶことになり、当時の心境をNe-Yoは「Billboard」のインタビューに次のようにコメント。
「結局、Dr. Dreは他の男と契約することを選んだ。彼の名前は思い出せないけど、彼は俺よりも少しフッドだったんだ」
「Hood(フッド)」とはヒップホップの世界ではよく使われるワードで、一般的には「地元」という意味で使われる一方、「ストリート」や「ギャング」的な意味合いで使われることも多いことから、ギャングスタ・ラップの第1人者であるDr. Dreの視点から見ると、ピアニストの母親、ベーシストの父親を持つ音楽優等生のNe-Yoは、少し「ストリートっぽさ」が足りなかったのかもしれないですね。
Dr. Dreとの契約が白紙になりNe-Yoはかなり落ち込んだようで、しかしこの数分後にDr. Dreの右腕としても知られる音楽プロデューサーのScott Storchと出会い、「Dr. Dreがなんて言ったかは知らないけど、君はドープだよ」と、Scott StorchがNe-Yoの才能を後押し。
この時、Ne-YoはScott Storchが何者か知らなかったそうで、しかしScott Storchの誘いを受けて当時彼が仕事をしていた米フロリダ州マイアミに向かう決断をしたNe-Yo。
そこで取り掛かっていたのがR&BシンガーMarioの制作で、この時にNe-YoはScott Storchと共に3曲ほど制作を行ったとのこと。
そしてこの場所で制作していた楽曲こそ、Ne-Yoの名前を一躍有名にすることとなる"Let Me Love You"で、Scott Storchの誘いを受けて"Let Me Love You"を手がけることになったNe-Yoは、「何か特別なことをしているということは分かっていたけど、これが上手くいくとは思ってもいなかった」と、当時の心境を回想。
もしNe-YoがDr. Dreとコラボレーション契約を結んでいたら、Marioの"Let Me Love You"も生まれなかったかもしれないし、Ne-Yoのキャリアも大きく変わっていたかもしれない。
Dr. Dreとの契約破棄は、R&Bシーンの歴史にとっても大きな転換点だったかもしれませんね。
Mario
Let Me Love You
iTunes: https://apple.co/3smUBaZ