貧困街で過ごした時期に貫き通した「ある1つのこと」
幼少期の頃に両親が離婚し、この出来事がきっかけで母と姉妹と共に米ニューヨーク市の北部に位置するヨンカーズに移住したMary J. Blige。
今でこそ富裕層や日本人移住者からも人気が高い地区になったヨンカーズですが、Mary J. Bligeが育った'70年代は「刑務所の中で暮らしているようなもの」というほど治安が悪く、この地で夢や希望を持つことは許されなかったというほど。
当時のMary J. Bligeは、歌が上手かったという母親の影響で、歌うこと自体は好きだったものの、TVに出演する歌手を見てただ一方的に憧れるだけの子供時代を過ごし、周囲に「歌手になりたい」と言ったことは一度もなかったようです。
そんな過酷な環境で幼少期を過ごしたMary J. Bligeは、この場所で生き抜くために絶対に貫き通していたことがあったと、Amazon Prime Videoのドキュメンタリー「Mary J. Blige's My Life」で語っています。
それが「人前で絶対に笑わない」こと。
当時のヨンカーズでは、幸せそうにしているだけで妬みの対象になったことから、Mary J. Bligeは「10代の頃は人前で一度も笑ったことがなかった」と、当時を振り返っています。
住民達がお互いを傷付け合い、日常的に男性が女性を乱暴に扱い、Mary J. Bligeの母もこの環境で被害を受けていた女性の1人だったことから、周囲の女性達の痛みを背負ってしまったというMary J. Blige。
しかし、皮肉なことにこの地で背負ってしまった「痛み」を感じさせる彼女の歌声が、後に契約することになる[Uptown Records]の創始者Andre Harrellと、当時同レーベルのインターンだったSean Combsに「ストリートの苦しみから生まれた、これまでに聴いたことの無い歌声」と絶賛されることに。
Mary J. Bligeにとっては思い出すことも耐え難いほどに辛い過去であることは間違いないものの、過酷な環境で育ったからこそ得られた「生き様」と「唯一無二の歌声」が、結果的に多くの黒人女性達の共感を集めた背景を見ても、「幼少期を厳しい環境で過ごす」という生き方を強いられたのは、Mary J. Bligeが大成功を掴むためには避けて通れない試練の1つだったのかもしれないですね。