Mary J. Blige|名盤『My Life』完成の鍵となった、窮地を救った運命の1曲"Be With You"。
- R&B SOURCE
- 1月11日
- 読了時間: 8分
更新日:1月12日

制作が難航した『My Life』
デビュー・アルバムが大成功してしまったゆえに、初作以上の結果を求められることによって成績不振に陥ってしまう、「2年目のジンクス」ならぬ「2枚目のジンクス」
ヒップホップ・ソウルの申し子として鮮烈なデビューを飾ったMary J. Bligeも、セカンド・アルバム『My Life』を制作するにあたってこの不安と戦っており、しかしそんなジンクスをものともせず、『My Life』は発売から約4ヶ月で200万枚以上のセールスを記録してダブル・プラチナを達成し(デビュー・アルバム『What's The 411?』は約7ヶ月でダブル・プラチナ)、同アルバムは第38回グラミー賞「Best R&B Album」にノミネートされ、また「Rolling Stone」が2003年に発表した「歴代最高のアルバム500選」にて第126位に選ばれたMary J. Blige不動の名作。
My Life
Mary J. Blige
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結果的には大ヒットしたものの、しかし『My Life』の制作は順風満帆とはいかず、Mary J. Bligeは『My Life』用に作られた何千という膨大な量の曲の全てを、一切気に入らなかったというほど。
そしてこのピンチを救ったのが、プロデューサーChucky Thompsonが制作した「ある1曲」だったとのこと。

全ての始まりとなった"Be With You"
『My Life』のメイン・プロデューサーに起用されたChucky Thompsonは、Usherのデビュー・アルバムやTLC『CrazySexyCool』などを手がけた手腕が評価され、当時頭角を表していた気鋭のプロデューサー。
しかし、当初Chucky Thompsonが結んだ契約は、『My Life』用に1曲と間奏曲(インタールード)のみを制作する内容だったようで、アルバムの全面プロデュースを行う予定は全く無かったとのこと。
『My Life』の制作に着手していた当時、Mary J. BligeはJodeciのK-Ciと交際していたものの、2人の関係が不安定だったことからどん底の精神状態になり、その影響で『My Life』用に用意された何千もの楽曲を全て拒否する事態に。
しかし、そんな中でたった1曲だけがMary J. Bligeの心を捉えることになり、それがChucky Thompsonが制作した"Be With You"のデモ音源だったとのこと。
Be With You
Mary J. Blige
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Mary J. Bligeのプロデューサーであり、育ての親Sean "Puffy" Combsが、「この曲を聴いてほしい」と興奮しながら彼女の家を訪れ、車の中で"Be With You"を聴いたというMary J. Blige。
この時の様子を、Amazon Prime Videoのドキュメンタリー「Mary J. Blige's My Life」にて「私の感情を完璧に表現していた」とMary J. Bligeは回想。
しかし、Chucky Thompsonはこの曲をMary J. Bligeに送るつもりはなかったようで、当時の様子を「Rolling Stone」のインタビューにて次のようにコメント。
「ある特別な1曲が全ての始まりだった。それが"Be With You"だ。本当は地元ワシントンD.C.にいるLakeというグループの為に作った曲で、俺はこの曲を送るつもりすら無かった。でもPuff(Sean "Puffy" Combs)に送られて、Maryがこの音源を聴いて気に入った。彼女がこの曲をスタジオでレコーディングしている時、俺は彼女に会った。彼女のエナジーが、みんなを引きつけるものだって分かったし、みんなが彼女の一部になりたがった。俺は反対の事をして、彼女と距離を取って離れた場所に立っていた。そしたら彼女が俺のところに来て話しかけてくれた。『この曲は私の最もお気に入りのレコードよ』ってね」

Mary J. Bligeが"Be With You"を気に入ったという経緯があり、Sean "Puffy" Combsは当初の予定を変更し、『My Life』のメイン・プロデューサーにChucky Thompsonを起用することに。
ちなみに、当時まだ新人プロデューサーだったChucky Thompsonを起用したもう1つの理由が、Mary J. Bligeのデビュー・アルバム『What's the 411?』が成功したことにより、このアルバムに携わった多くのプロデューサー達の制作費が高騰した為であり、当時の状況を「Soul Culture」のインタビューにてChucky Thompsonは次のようにコメント。
「『What's the 411?』が成功して、このアルバムに携わった多くのプロデューサー達のトラックの値段が急騰した。そのプロデューサーの多くは、当時まだ新進気鋭のプロデューサーで、アルバムがトリプル・プラチナになると、彼らはもっと高い制作費を要求するようになった。彼らが[Uptown Records]に要求したトラックの制作費は、1曲につき8万ドル(当時のレートで約820万円)という法外な金額だった。それでPuffが俺のところに来て『なぁ、Maryのプロジェクトを全部やるチャンスがあるんだ。大金にはならないだろうけど、チャンスはあるよ。君はやりたいか?』って言ったんだ。俺は『やる気?無料で彼女のアルバムをやるよ』って答えたんだ。俺は彼女の作品のファンだったし、俺達は2人とも昔のソウル・ミュージックを知っていたから、すぐに意気投合して色々なことが起こったよ。俺達はみんな若かったし、ソウルが俺達を結びつけたことをみんなが分かっていた」

「恐らく『My Life』のアルバム40枚分は作れただろうね」
続けて、Chucky Thompsonは「Soul Culture」のインタビューにて、『My Life』制作時の様子を次のようにコメント。
「Maryに対する俺のビジョンは、彼女が『本物の歌手として評価されるべき』ということを世間に伝えることだった。人々は彼女のイメージにとらわれてしまっていたけど、俺は彼女がそれ以上の存在であることを確信していた。俺は、彼女がR&Bとソウル・ミュージックのディーバの1人として認められることを望んでいたんだ。『My Life』に対する俺の考えは、世界最高のアルバムにするのではなく、人々に『まぁまぁいいアルバムだった』と思ってもらえるようにすることだった。Puffはこのアルバムをどんな方向に持っていきたいか全く考えていなかったが、ヒップホップでソウルフルなものにしたいとは思っていた。俺はゴーゴーやその他のフレーバーが沢山生まれたワシントンD.C.出身だから、俺がソウルや様々なサウンドを持ち込んだとき、それはMaryにとってもPuffにとっても新鮮なサウンドだったんだ。彼女は俺の制作スタイルと、Puffが彼女に提案したアイデアを本当に気に入ってくれたから、俺は自分のスタイルを実行できた。サンプルのアイデアの多くはPuffから来たもので、俺はそれをひっくり返して、彼女に合うように調整した。『My Life』で、感情的な曲の土台を沢山作ったんだ。彼女がスタジオで歌っていて、それが世界で一番クールなテイクだったとしても、彼女は泣いていた。そういうものは作り出せないものなんだ。そういう感情は目に見えないところから来るんだ。俺達はただレコーディングして、彼女の雰囲気に全て任せた。これを続けていれば、恐らく『My Life』のアルバム40枚分は作れただろうね」

アルバムの表題曲"My Life"で"Everybody Loves the Sunshine"をサンプリングした理由とは?
Mary J Blige自身が「過去の過ちや苦しみが詰まっていて、最も自分自身を反映した作品」と振り返った『My Life』
そしてアルバムの表題曲となった"My Life"は、これまでに数多くのアーティスト達がサンプリングし続けるRoy Ayers Ubiquityの名曲"Everybody Loves the Sunshine"を基にした楽曲で、この"My Life"こそ「Mary J. Bligeの音楽の基盤」を築いた重要な1曲。
Mary J. Bligeが幼少期を過ごしたのは、米ニューヨーク市の北部に位置するヨンカーズで、Mary J. Bligeが育った'70年代はこの地で夢や希望を持つことは許されず、幸せそうに振る舞うだけで妬みの標的になったことから、Mary J. Bligeもこの環境で生き抜く為に幼少期は笑ったことが無かったという程。
そんな過酷な環境で日々の生活を過ごす中、ある1曲との出会いがMary J. Bligeの人生を激変させることになり、それがRoy Ayers Ubiquityの"Everybody Loves the Sunshine"だったとのこと。
Everybody Loves the Sunshine
Roy Ayers Ubiquity
iTunes: https://apple.co/3HvPRVf
Mary J. Bligeは、この曲を聴いた時の様子をAmazon Prime Videoのドキュメンタリー「Mary J. Blige's My Life」で次のようにコメント。
「"Everybody Loves the Sunshine"を聴いて、なぜか私の中の全てがはじけた。子供の時に初めて夢中になった曲で、暮らしている環境を忘れられたわ。この曲の歌詞を聴いて、夢を持てると感じたの」

「太陽に照らされた、私の明るい人生」と歌う、"Everybody Loves the Sunshine"のポジティブな歌詞に希望を感じたというMary J. Blige。
'70年代の米国は、ベトナム戦争後の社会的混乱の影響などもあり、景気低迷、しかしインフレは加速するスタグフレーションが起こって治安が悪化し、こうした社会的背景から、当時のソウルやディスコ・ミュージックは「愛、自由、自己表現、連帯感」などをテーマにした、人々を奮い立たせる楽曲が多く生まれた時代。
そんな中、Mary J. Bligeがとりわけ"Everybody Loves the Sunshine"に夢中になった理由は、恐らくMary J. Bligeが生きた環境では、曲調も歌詞も全てが明るくポジティブな雰囲気の曲では、逆に現実味がなさすぎて感情移入できず、メロウながらもどこか寂しさや憂鬱さを感じる"Everybody Loves the Sunshine"の独特な曲調が、当時のMary J. Bligeにとってはどんな曲よりも心に響いたのかもしれないですね。
この曲もMary J. Bligeの窮地を救ったChucky Thompsonが手がけた楽曲で、しかし彼はMary J. Bligeと仕事をする前から、すでに"Everybody Loves the Sunshine"をサンプリングするというアイデアを持っていたとのこと。
「Maryと仕事を始める前から"My Life"のレコードに取り組んでいたんだ。Roy Ayersが大好きだったんだけど、俺はライブ・ミュージックの街ワシントンD.C.出身だから、色々なレコードを様々な方法で演奏しているのを聴いていたんだ。俺はRare Essenceというバンドがお気に入りで、彼らから多くの影響を受けたよ。"Everybody Loves the Sunshine"をRare Essenceがやっていたように演奏したかったんだ。ある日Puffの家にいて、そこでいろいろな曲を演奏していたんだけど、"Everybody Loves the Sunshine"のレコードをかけた時に、彼が部屋に駆け込んできて、『なぁ、このレコードをMaryに使おうと思ってたんだ』って言ってきた。それで彼はMaryに渡して聴かせたんだけど、『自分のアルバムに使いたい』ってMaryも全く同じことを言ったんだ。Maryは自分の言葉を音楽に乗せたんだけど、それは彼女の本当の物語だったんだ」
My Life
Mary J. Blige
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